【基本方針】
1、青少年に道徳心を伝える運動を展開し、その中でひとづくり・まちづくりをすすめます。
2、青年会議所会員としての規律・秩序を養います。
3、志を同じくする同士の輪を広げる為、会員拡大活動の充実をはかります。
4、50周年に向けた準備を進めます。
【はじめに

『たかがJC、されどJC』 
私が尊敬する故高岡伸一先輩の言葉であります。
この「されど」の中に生きる理念、伝統がその時代時代へと引き継がれ、今日まで確実に受け継がれてきました。
(社)尼崎青年会議所が、この地で産声をあげてから半世紀。我々は創立50年という大変大きな節目を
平成21年に迎えます。半世紀というこの節目の年を1年後に控えた今、我々は何を感じ、何を考え、何をしなくてはいけないでしょうか。自分なりの言葉でお伝えしたいと思います。

【伝統】
設立にご尽力いただいた先輩方から脈々と引き継がれてきた(社)尼崎青年会議所の歴史と伝統。
間違いなく言えることはこの伝統の灯を今ここにいる我々も次代に引き継がなければならないということです。
では、(社)尼崎青年会議所の「伝統」とは一体何でしょう。
目に見えないものゆえ、感じ方は十人十色でしょう。
私は今12年間のJC生活を経て、私なりの答えを見つけました。
私が考える「伝統」 それは“ゆるぎない『規律』と『敬い』”である、ということです。
これこそが“尼崎JC”の原点であり、基本ではないでしょうか。
掲げた事業に向かう過程、取り組む姿勢、その中で芽生えるメンバー同士の絆。
そして先輩諸兄の厳しさと、限りなく深いやさしさ。これらすべての背骨となっているものが、
『規律』と『敬い』の精神であると確信しています。

【敬い】
先人が築いて来たベースがあって今がある。責任世代の我々が「今」を考え引き継いでいく。
非常に大切なことであり、根底に流れるこの基本部分は忘れてはならないことであります。
またこの背骨を歪めてはならないのです。
最近「時代が変わった」「もうそんな時代ではない」という言葉をよく耳にします。
しかし私は、青年会議所の中ではあまり聞きたくない、好きではないフレーズです。
青年会議所活動そのものにおいてもその中での人間関係でも同じです。
時代や手法が変わっても根底にある、背骨である「JC魂」、「尼崎JCスピリット」は変わってはならないものであり、
変えてはならないものであると信じています。
「青年会議所しかなかった時代」から「青年会議所もある時代」へと時代が移行し、さまざまな団体や人々がまちづくりに
取り組んでいます。
しかし、こういった時代の流れに必死で追随していくことが青年会議所ではないはずです。
歴史と伝統ある(社)尼崎青年会議所ならではの頼もしい、力強い活動を続けるために必要なもの。
それがメンバー各人の腹の底に、道標として根付いていなければいけません。
その上で、青年会議所として本当にやるべきこと、本当に必要とされていること、そして“JC”だからこそできるものは何かをしっかりと考え行動しなければなりません。
そうでなければ、周りの環境、周りの声に常に右往左往してしまう、またPRに軸足を置いてしまう、ただのイベント屋に成り下がってしまいます。
その結果ただ事業をこなすだけの団体になってしまうことは、青年会議所の存在意義すらなくしてしまうことになると考えます。
本当に我々は必要とされているのか?を問う前に、今何をすべきかを見極めていく。
そうすることで、自ずと必要とされる毅然たる組織になるのではないでしょうか。
ひとづくり・まちづくりを掲げる我々が「今」を見据えた時、どこに意識を向け、軸足を置くか。何をしなければならないかを見極めなければなりません。
私は今こそ、「正しき道徳心」を広く伝える行動を起こす事。それが我々の責務であると考えます。
近年マスコミなどをにぎわせている青少年の目を覆うような事件をはじめ、どこかが、何かが、おかしくなっている「今」を皆が感じているはずです。このような憂うべき現状を打破するには、今こそ「敬いの心・正しさ・規律・節度・情」これらの道徳心を
我々が教えられたように特に青少年に教えなくてはいけません。
青年会議所の行動力とネットワークをもてば、このような社会に一石を投じることができるのではないでしょうか。

藤原正彦・著書 「国家の品格」の一節です。
〜すべてを論理で説明することは出来ない。
 しかも重要なことの多くが論理では説明出来ない。
「いけないことはいけない」「ならぬことはならぬ」以上、終わりである。
論理的というだけなら良い理由も悪い理由もいくらでもある〜

この目に見えない道徳観を教えなければいけません。
今こそ、本気で行動する時期ではないでしょうか。
自己が満足する為の事業を考えている場合ではないはずです。

【規律】
皆さんは何故、青年会議所活動をされていますか?
理由は様々ですが、皆自らの意思で活動しているのです。青年会議所とは退会届を出せば自らの判断で明日にでも退会できる団体です。
しかし退会という選択をせず、仕事・家庭・プライベートの時間を削り、委員会、例会、事業に出席して日々切磋琢磨しています。各人それぞれが心の中に何かしらの意義を感じ、意味を感じているからこそ所属し続けているのではないでしょうか。皆が各々の “JCの意義や意味”を感じているはずです。
しかし、間違ってはならないのは、青年会議所は決して仲良しクラブではないということです。このことはしっかりと自覚をしなければいけません。
きちんとした規律とルールの上に青年会議所は存在しています。
同床異夢ではなく、異床同夢であるのが青年会議所です。それぞれがそれぞれの立場で社会生活を送り、違う環境で生きながらも
“JC”では同じ方向を見、同じ夢を見る。これが異床同夢です。長い活動の中で、時には奥歯をギシギシといわせながらでも進まなければいけない時もあります。仕事との狭間で苦しむ事もあります。
しかし、その中でこそ責任感・柔軟性・想像力が磨かれるのです。時には一つを成し遂げた大きな喜びを共に感じ、ほんの小さな楽しみも一人で見つける。時には怒り、また哀しむこともあります。
これらの喜・怒・哀・楽を感じ、感性を磨く場。それが青年会議所であると確信しています。
価値があるからJCをするのではなく、これらを学びながらやり抜くことにJCの価値があるのだと思っています。そしてその中で、ゆるぎない“規律”を自ら身につけていく。
それらを経ながら、はじめて真の友情を育むことができるのです。
その全ては責任主体です。この青年会議所に入会したことも、例えばスタッフをしたことも、理事に就いたことも。きっかけがあるにせよ、すべては自らの最終判断で決めたことです。その義務を果たさず、私見ばかりを主張しない。責任を他人に転嫁しない。これらの修練は、規律の中で友情と背中合わせで存在しているものだと考えます。その原点を今一度しっかり学ぶ一年にします。

「されど」の意味をメンバー自身が見つけ出し、実感できる一年にすることを目指します。
(社)尼崎青年会議所会員である誇りと責任を共に再確認しましょう。
そして翌年、“尼崎JC”50歳の誕生日を共に迎えようではありませんか。
                                        鴻池肇一